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凋叶棕運営記。基本まったり更新。
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2014/01/02 (Thu)
「落日」

遊女「霧雨」の存在と森近霖之助の邂逅を描いた物語です。

  霧雨魔理沙は、その身を遊女に落とし、「霧雨」という名で春を鬻いでいた。
  その、大三世「迷蛾楼」の遊女「霧雨」が今夜取った客は、森近霖之助その人であった。
  実の父親に水揚げされた遊女を嗤いにでも来たのか、と食って掛かる霧雨。
  言葉も草々に、そうして結局は、ことに及ぶ二人。
   哀しいのか嬉しいのか曖昧なままの霧雨に、「綺麗になったね」と声をかける霖之助。
   ことを終えたのち、次に親父と会ったときには「兄弟」と言ってやれ、と言い残す霧雨。窓の外には季節外れの花火。
   遊女となった彼女を連れ出すことも救うこともできず、ただ、自責の念に駆られるように大門の外でうなだれる霖之助。


 「落日」は、そもそもが霧雨魔理沙が春をひさぐという構想での合作「霧雨ロマンポルノ」に収録されているため、春をひさぐ魔理沙であるという強烈なイメージが何よりも印象的です。
本著は現代風俗パートと遊郭パートがあり、 「落日」は後者という位置づけです。
(前者も前者で語りたいところの多いお話なのですが、今回は割愛いたします)

 さて、「落日」本編は、霖之助と「霧雨」の出逢いが描写されるわけですが、
霧雨は、自分の苗字を敢えて名乗ることで、その身分を以て実家に復讐しているのだと私は考えておりました。
霖之助と、ある意味で結ばれ、ある意味で幸せで、ある意味で最も不幸なこの展開の持つ鬱っぽさからは、ものすごいパワーを感じます。
特に印象的なのは、霖之助を見つけたときの魔理沙の表情で、なんというか、逢いに来てくれたことへの純粋な喜びを感じさせつつも、それ以外の思いも複雑に絡んでいるような感じです。
結局、「落日」は誰も幸せになっていないのですが、それがいいと言いますか、なんというか、その救われなさこそが美しいと思っている次第です。


さて落日ロマンスは、「魔理沙が遊女に」というそのシチュエーション自体のインパクトそのものをまず伝えたい!!と思っていたため、
薦で唯一「本編よりも前」の描写を中心に、霧雨は、霖之助に出会う前にどんな思いでいたのか?ということを中心に考えて制作しています。

霧雨が霖之助に逢いたがっていたかどうかは、正直なところ今も私の中では確たるものがありませんが、
ロマンスの中の霧雨はかなりそちらよりです。

これは、そうでも思わないとやってられないんじゃないかなと思う反面、
出会ってしまったらそれは破滅というか、霧雨の中の最後の可能性を潰してしまうことにもなりかねないというような、そんな思いです。どちらにせよ救われない。
でも、やっぱり魔理沙は霖之助を乞いているのではないかな、と制作時はそういう思いが強くありました。

ただ、出逢ってしまったら、することはひとつしかありませんが…

音楽的には、地味に明るく、しかし歌詞は重く、なんというかアンビバレントでちぐはぐな「愛」に生きる嘘つきのようなイメージで作っています。

梁塵秘抄の「あそびをせんとや…」は、様々な解釈がありますが、遊女がその身の罪深さを嘆いているという解釈も認められるようで、ならばこれがイントロにふさわしいと思ってのことです。


重いお話ではありますが、これも一つの魔理沙の形としてお薦めしてみたい次第です!
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